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港市の秋

 
石崖(いしがけ)に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

町では人々煙管(キセル)の掃除(そうじ)。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生(うま)れたら……』
海員(かいいん)が唄(うた)う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。

  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子(いす)を失くした。

 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

 

<ひとくちメモ>

 

「帰郷」あたりで東京を離れた詩世界が、

「港市の秋」で、ふたたび、

都会の匂いを放ちはじめます。

といっても、そこは横浜らしい。

「秋の一日」と同じ舞台の横浜らしい。

詩人は埠頭の見える丘にいます。

その手前の石崖に朝の陽光が射し

息を飲む美しさです。

その向こうの港に

カタツムリの角のようなものは

繋留中の船のマストだろうか……。

いま歩いてきたばかりの町では

煙管(キセル)の手入れをするおじさん

住家の屋根はリラックスしてあくびをし

空はぽっかり割れて真っ青な青空

休日の役人はどてら姿もしどけなく

くつろいでいました。

水兵がなにやら

今度生まれてきたら

なんて歌うのが聞こえました。

ばあさんが

ぎーこたん ばったりしようよ

(ギッタンバッコンしようよ)

なんて歌うのも聞こえました。

穏やか過ぎて眠りたくなるような、

おとなし過ぎて私には入り込めない、

気がおかしくなるような港町の風景でした。

私はこの日

私の居場所がないのに気づき

どこか入り込める場所を探そうと

心に決めるのでした……。

これも詩人宣言の一つです。

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