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凄じき黄昏

 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

 

<ひとくちメモ>

ただの黄昏ではない

凄まじいのだ、

このたそがれは……

しきりに考えさせる詩です。

3─3─3─2を

繰り返し読んでみるのですが

戦世を思うほどに

何が今、凄まじいのだろう

詩人の心の内に荒れ狂うのは

憤り? 悲しみ? 嫉妬?

口惜しさ? 情熱?

どこか広々とした草原を

眼下に見ているのでしょうか。

風がビュービュー吹き

いい加減、煩わしいほどに吹き止みません。

草々は横倒しに吹きつけられるままです。

こうも荒涼とした風景につつまれては

自然に、

遠き時代の薩摩隼人らが行った

戦のことが思いやられてきます。

いかにも急ごしらえの竹やりの一群が

川沿いを進んでいきました。

一個の雑兵であることに

自分を任せきって。

風は

行く手行く手の累々たる屍を

運ぶこともしない、できない。

その彼方の空は

死体の山にかぶさるように

立ち上がっている。

戦いに参加していない家々の者こそは

賢い陪臣(家来の家来)なのです

煙草のヤニで汚れた歯を隠して

ひたすら見せかけの従順を装っています。

第3連終行の

「空、演壇に立ち上がる。」は、

難解な詩句ですが

演壇を「屍の塚」と解釈しました。

ひとたび解釈できると

ほかの解釈も生まれてくる

多様な解釈を許容する

不思議な魅力。

中原中也の詩には、

こんな強さがあるようですが……。

「帰郷」の末尾で

風に向かって決然とした詩人。

この詩でその決意を引き継ぎ

荒らぶる内面を表現しているのだとしたら

凄まじくも

強烈な決意といわなくてはなりません。

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