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臨 終

 
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
  ああ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ
  白き空盲(めし)いてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音(おと)したたりていぬ

町々はさやぎてありぬ
子等(こら)の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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<ひとくちメモ>

「朝の歌」以後

視界がグンと開けた感じになり

グンと読みやすくなります。

ソネットが多くなり

定型への意識が強くなります。

ところどころに文語調が現れるのは

外国の詩の翻訳が

文語体で行われるのが常套であった

昭和初期の流れに逆らうものではなく、

フランス象徴詩に惹かれて

脱ダダイズムを試みていた

詩人の模索と矛盾しません。

1連4行の後半2行を2字下げにしてみたり、

ソネット(14行)ばかりでなく16行としてみたり

さまざまに試みられます。

「臨終」には、

くっきりとした形で女性が登場しますが、

その女性はすでに死んだ後のことで、

思い出の中に消えていこうとするかのようでありながら、

窓際で髪を洗う姿が

昨日のようにありありと浮かぶ

近い過去にいます。

第2連「窓近く婦の逝きぬ」

第3連「窓際に髪を洗えば」

と、二つの行に出てくる「窓」の

受け止め方によって、

この女性のイメージは異なってきます。

一人は、詩人のファム・ファタル(運命の女)

長谷川泰子。

一人は、詩人が横浜で遊んだ

色街の女性。

受け止め方は自由ですが、

いずれにしても

その女性の臨終を歌いながら、

臨終の後には

この女性の魂はどのようになるのか?

やがては、空になるのだろうか?

と、疑問符をつけて

詩人自身にも問うているおもむきがあり、

他人行儀の臨終でないことは確かです。

詩人の中の何かも終わり、

この魂はどのようになってしまうのだろう?

空になってしまうのだろうか?

と、自身の死を見つめているかの

響きに不安感があります。
 

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