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無 題

 

   Ⅰ

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!

   Ⅱ

彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲(く)んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真っ直いそしてぐらつかない。

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きている。
あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、
折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、
而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!

甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!
しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!

   Ⅲ

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。

かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。

   Ⅳ

私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。

幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
 
   Ⅴ 幸福

幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛(まぎ)らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
  人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!
 

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<ひとくちメモ>

「無題」は

仮題ではなく

詩人によってつけられた

詩のタイトルです。

中原中也の詩としては長い作品です。

長詩とは言えませんが

他のいくつかの長編と並んで

広がり、深さなど

スケールが大きく、パワフルです。

そうだから

タイトルがつけられなかったのか

「無題」です。

5章に分けられたⅠは

読んだ通りに理解できる

平易な言葉で作られています。

泰子と別れた後に

荒れ狂う詩人の

ストレートな立ち居振る舞いや心情が

そのまま明らかにされ

自ら嘆きます。

私がくだらない奴だと、自ら信ずる!のです

1章で「おまえ」と呼びかけていた相手が

2章では「彼女」になります。

距離をおいて、彼女をとらえます。

彼女はまっすぐな心で

乱雑な世の中を生きてきた

わきまえのない・めちゃくちゃな世の中を

つつましく生きている

時に、心は弱り、ふさいだりすることもあるが

最後の品位を失わない

美しい、賢い

やさしい心を求めて生きてきた彼女も

エゴイスティックで幼稚な

けものやガキどもとしか出会わなかった上に

人というものはみんなやくざと思うようになってしまった

いじけてしまったのだ

彼女はかわいそうだ

3章は文語へ転調します。

少しだけ、文語のボキャブラリーが要りますが

むずかしいほどではありません。

このように悲しく生きなければならない世の中に

あなたの心が、頑なに、

頑固になることをのぞまない

かたくなにしてあらしめな

頑ななままであってはならないよ

私のほうは、あなたに親しくしたいと願うばかりで

あなたの心が、頑ななままであってはほしくない

頑なにしていると

心で見ることがなくなり、魂にも

言葉の働くことがなくなりますし

和やかな時には、人はみな生まれながらに

佳い夢を見るものですが

そういう道理を受け取ることにもなるのです。

自分の心も魂も、

忘れ果て、捨て去り

悪酔いして、狂ったように美しいもののみを求める

この世の中、私が住んでいる世の中の

なんと悲しいことでしょうか。

自分の心の中に自ずと湧き上がってくる思いもなく

他人に勝とう勝とうとして焦るばかりの

熱病のような風景は

なんと悲しいことではありませんか。

4章は

1章の「こいびとよ」の距離もなく

近くで「おまえ」に呼びかけます。

現代語で

喋りかけていますから

だれにも分かる言葉ばかりです。

しかし、甘さはありません。

睦まじい恋人同士の囁きとは

全然異なる喋りです。

おまえを思っているのも

まるで自分を罪人であるかのように感じて

思うのです。

おまえを愛しているのも

身を捨てておまえに尽くそうと

思うからです。

そうすることが

幸福なんだ。

尽くせるんだから

幸福なんだ。

5章は、「幸福」の副題がついています。

実は、3章も、「詩友に」というタイトルがつけられ、

「白痴群」創刊号に掲載された

独立した詩でした。

それと同じことです。

幸福は馬屋の中にある。

馬屋の藁の上にある。

幸福は和やかな心にはたちまちにして感じられる。

頑なな心は

不幸だ。

幸福はゆっくり休むことを知っている。

やるべきことを少しづつやり

理解に富んでいる。

頑なな心は

理解に欠け

利に走り

意気消沈して

怒りやすく

人に嫌われ

自分も悲しい。

だから人よ

まず人に従おうとしよう。

従って、迎え入れてもらおうとするのではなく

従うことそのものを学んで

自分の品格を高め

品格の働きを豊かにさせるのだ。

たとえ

寄せ集めであったとしても

一貫して流れるものがあります。

詩句の切れ端を集めて

一つの山へと総合する力の

非凡さ。

タイトルをつけられなかったのではなく

「無題」

というタイトルをつけた詩人の思いに

じっと耳傾けてみましょう。

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