ツイッター

  • 中原中也(bot)
    (詩の全文が読めるリンク付)
  • 「中原中也」に関するツイート

末黒野

中原中也全詩集

  • おすすめ本

広告

中原中也詩集

  • おすすめ本

« 春の夜 | トップページ | 臨 終 »

朝の歌

 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

<スポンサーリンク>

 

<ひとくちメモ その1>
 

また一つまた一つと

中原中也の詩の中に分け入って行きます。

「朝の歌」へたどりついて、

グンとやわらかい感じになったようです。

文語調でソネットであることが、

元来、優しい響きを放つからなのでしょうか。

静かな朝の情景です。

前夜、酔っ払ってしまって、泥のように眠り込んだ詩人は、

目覚めた床の中にいて、

雨戸を漏れる陽光が

朱色に映える天井を見上げています。

どこからともなく

ズンタッタ ズンタッタと聞こえてくる行進曲

勇まし気ではありますが、けだるい響きは

詩人を起き上がらせる気持ちにさせません。

小鳥らの鳴き声がしないのは

とっくに太陽はのぼり、外は晴れあがって、

薄い藍色、はなだ色の空が広がっているからです。

何度、こんな朝を迎えたことだろうか!

何もしようとする気になれない

倦怠に満ちた詩人の心を

誰もとがめようとはしない静かな朝なのです。

昨日見かけた

あの新築中の家の材木からだろうか

樹脂の香りが鼻を突いて

シャキッとしなさい、と母の声がしたようなまどろみの中で

詩人の胸はざわめきはじめます。

ああ、失ってしまった夢

あれもしよう、これもしようと

本当に様々に抱いていた夢は

どこへ行ってしまった?

森が揺れている

風に吹かれて、葉音ばかりが聞えてくる

森の向こうには

大きな空が広がっている

果てしなく広がっていく空に向かう

一本の土手道を伝って

消えて行く

美しい様々な夢よ!

東京の安アパートの一室の情景が

詩の終わりの方では

この詩が作られた当時の

東京・中野や杉並あたりの小川へと連なり

やがては故郷・山口の土手の道に溶け込んでいるかのようです。

詩人はしみじみとして

喪失と倦怠を歌いますが

絶望の淵に立っているというよりも

希望をさえ感じさせる時間が流れています。

悲運の詩人にも

このような時間があったのだ、と思えれば

ばんざい!と一言叫んでみたくもなる作品です。

詩人は後に「詩的履歴書」という小さな自伝の中に

「『朝の歌』にて方針立つ。」と

この作品が「詩人としてやっていける!」

会心作であることを記しました。
 

<ひとくちメモ その2>
 

特別扱いされた「空」

「朝の歌」は、
小自伝というべき「詩的履歴書」(昭和11年)に、


中原中也自らが、
「大正十五年五月、『朝の歌』を書く。七月頃小林に見せる。それが東
京に来て詩を人に見せる最初。つまり「朝の歌」にてほゞ方針立つ。(略)」
と記すほどに、詩人としての自信作であり、
「それまでとはまったく違った詩風を示している」
と、大岡昇平も認める
独自の詩を確立した画期的作品ということで、
多くの人がそのように認めてもいる作品です。

この詩を書いたころ、
詩人は
ダダからの脱皮を図っていたといわれ、
富永太郎や小林秀雄らを通じて知ることになった
フランス象徴詩の影響も感じられるこの作品に

小鳥らの うたはきこえず 空は今日 はなだ色らし、

ひろごりて たひらかの空、土手づたひ きえてゆくかな

と2度、空が現れるのですが


この空はどうやら象徴としての空らしい
という読みが導き出されます。

「山羊の歌」の詩から
空を見つけないでいるのがむずかしいほどに
空は多くの詩に登場しますが
いま純然たる自然景観としての空を除いて
多少なりとも
自然の空以上の
ニュアンスをもつ空を取り出してみると

うすらぎて 空となるか?(臨終)
知れざる炎、空にゆき!(悲しき朝)
夏の空には何かがある、(夏の日の歌)
空が曇ったら、イナゴの瞳が、砂土の中に覗くだらう。(ためいき)
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに、(妹よ)
空を見上げる私の眼――(木蔭)
暗き空へと消え行きぬ(失せし希望)
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく(夏)
涙湧く。み空の方より、風の吹く(心象)
空になん、汝の息絶ゆるとわれはながめぬ。(みちこ)
今夜み空はまつ暗で、暗い空から降る雪は……(雪の宵)
薪の燃える音もして 凍るみ空の黝む頃(生ひ立ちの歌)
あゝ 空の奥、空の奥。(憔悴)
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?(いのちの声)
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。(同)

と、一覧できます。

「朝の歌」の空は
はなだ色らし、の述語があることによって
宗教的匂いは剥奪され
自然の空以上を主張しないようにみえますが
この空こそは
象徴化された空でありそうです。


二日酔いで目覚めた
詩人が見た
天井に漏れ出る
朝の光……。

悪友の安アパートへ
泊まり込んで見た朝の風景……。
こうして青春の時を
よみがえらせる空が
自然の空以上の空であることを
明らかにしているのです。

« 春の夜 | トップページ | 臨 終 »

スポンサードリンク

「山羊の歌」〜羊の歌

未発表詩篇〜ダダ手帖(1923年〜1924年)

おすすめ本

中原中也の手紙から

中原中也の手紙

ランボー詩集

  • おすすめ本

中原中也が訳したランボー(はじめに)

ランボー詩集〜附録

ランボー詩集〜後記

ランボー〜ノート翻訳詩

ランボー〜翻訳草稿詩篇

ランボー