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頑是ない歌

 

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛(きてき)の湯気(ゆげ)は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)として身をすくめ
月はその時(とき)空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然(ぼうぜん)と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房(にょうぼう)子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此(こ)の先まだまだ何時(いつ)までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経(へ)て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこいしゅては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我(が)ン張(ば)る僕の性質(さが)
と思えばなんだか我(われ)ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟意志(ひっきょういし)の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

冒頭の

思へば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

この2行で、

「頑是ない歌」の季節は

冬といえるでしょう。

「北の海」に続いているし、

12歳の冬を回想しているのですから

現在も、冬であろう、という推定です。

「在りし日の歌」31番目の歌。

昭和10年(1935年)12月、

詩人28歳の時の制作で、

「文芸汎論」の昭和11年1月号に掲載されました。

頑是ない、とは、

聞き分けのない、の意味。

聞き分けのできないことを含み、

無邪気な、イノセントな、

という意味に転じることもあります。

聞き分けのない歌、か、

聞き分けのない者の歌、か、

イノセントな歌、か、

イノセントな者の歌、か

いろいろにとれます。

12歳の冬に聞き、見た

どこかの港の空で鳴った

船の汽笛、その蒸気を

28歳の詩人が

思い出として歌い出します。

冒頭の

思えば遠く来たもんだ、と

末尾の

汽笛の湯気や今いづこ

始めと終わりの2行で、

鮮烈に印象に残る作品。

ああ、これは、中原中也の詩だったのか、

などと、感慨深く読む読者が

たくさん存在するに違いありません。

「頑是ない歌」には、

幾層もの時間があります。

十二の冬

それから何年経つた、あの頃

あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち

それから何年経つた、あの頃

あの頃の俺はいまいづこ

の、あの頃は、

同じ過去の時間かもしれません。

そうだとしても、

十二の冬と、

あの頃と

今と、

三つの時間が歌われていることは

確かです。

詩の起点になるのは

十二の冬。

その時、何があったのでしょうか。

港で汽笛を聞き、

船の吐き出す蒸気を見た、

その時、

月は雲間にあり、

大きな音の汽笛を聞いては、

ビクビクして身を縮こまらせていると、

今度、月は空にあった。

竦然(しようぜん)としなければならないものが

汽笛、

蒸気、

雲の間の月、

空の月……により

もたらされた、ということになります。

その後、何年か経ち

汽笛の蒸気を見たのか

単に、思い出すのか、

汽笛の蒸気は茫然としていて

悲しい眼差しで見る俺だったが

その俺はいまどこにいるのだろう、と

現在の、俺は、振り返ります。

今、女房子どものある身になっては、

遠くへ来たものだなあ

この先まだまだいつまでも

生きてゆくのだろうけれど

こんなに遠くまで来た日々のことが

こんなに恋しくては

なんだか自信が持てないよ

自信がもてないとはいうものの

生きてゆく限りは

頑張り屋の俺のこと

きっと頑張るにちがいないと思うと

なんだか我ながらに痛々しい

考えてみても、まあ

頑張るのだとして

昔のことが恋しい時もあっても

どうにかやっていくのでしょう

考えてみれば簡単なこと

それは、とどのつまりは、

意志の問題。

なんとか、やるっきゃない

やりさえすればよいのだ

と思うのだけれども

十二の冬に

港の空に鳴り響いた

あの汽笛の蒸気は

今、どこへ行ってしまったのだろう

♪はるばる来たぜ! 函館~

と違うのは、

思へば遠く来たもんだ、の

「遠く」が、

far away from

after long time

この、どちらの意味も含んでいることでしょうか。

 

 

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