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未発表詩篇〜ノート少年時(1928年〜1930年)

(そのうすいくちびると)

 
そのうすいくちびると、
そのほそい声とは
食べるによろしい。

薄荷(はっか)のように結晶してはいないけれど、
結締組織(けっていそしき)をしてはいるけれど、
食べるによろしい。

しかし、食べることは誰にも出来るけれど、
食べだしてからは六ヶ敷(むつかし)い。
味わうことは六ヶ敷い、……
黎明(あけぼの)は心を飛翔(ひしょう)させ、

美食をすべてキナくさく思わせ、
人の愛さえ五月蝿(うるさ)く思わせ、――
それでもそのうすいくちびるとそのほそい声とは、
食べるによろしい。――ああ、よろしい!
 

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湖 上

 
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。

沖に出たらば暗いでしょう。
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞えましょう、
あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう。
われら脣(くち)づけする時に、
月は頭上にあるでしょう。

あなたはなおも、語るでしょう、
よしないことやすねごとや、
洩らさず私は聴くでしょう。
けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
 
       (一九三〇・六・一五)


 

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夏と私

 
真ッ白い嘆かいのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。

高きより、風のただ中に、
思い出の破片の翻転(はんてん)するを見たり。

夏としなれば、高山に、
真ッ白い嘆きを見たり。

燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。

風に吹かれつ、わが来(こ)し方(かた)に、
茫然(ぼうぜん)としぬ、涙しぬ。

はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。

しかすがにのぞみのみにて、
拱(こまぬ)きて、そがのぞみに圧倒さるる、

わが身を見たり、夏としなれば、
そのようなわが身をみたり。
  
      (一九三〇・六・一四)
 

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血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆたさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
眠るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆたさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は燃ゆる、地は睡(ねむ)る
血を吐くようなせつなさに。

嵐のような心の歴史は
終ってしまったもののように
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方(かなた)に眠る。

私は残る、亡骸(なきがら)として、
血を吐くようなせつなさかなしさ。
 
     (一九二九・八・二〇) 
 

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追 懐

 
あなたは私を愛し、
私はあなたを愛した。

あなたはしっかりしており、
わたしは真面目であった。――

人にはそれが、嫉(ねた)ましかったのです、多分、
そしてそれを、偸(ぬす)もうとかかったのだ。

嫉み羨(うらや)みから出発したくどきに、あなたは乗ったのでした、
――何故(なぜ)でしょう?――何かの拍子……

そうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!

曇って風ある日だったその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。

私は此処(ここ)にいます、黄色い灯影に、
あなたが今頃笑っているかどうか、――いや、ともすればそんなこと、想っていたりするのです
 
         (一九二九・七・一四)
 

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消えし希望

 
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日を燃えし希望は。

夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
遠きみ空に見え隠る、今もなお。

暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
獣の如くも、暗き思いす。

そが暗き思い何時(いつ)の日
晴れんとの知るよしなくて、

溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。

その浪はあまりに深く
その月は、あまりにきよく。

あわれわが、若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
 
      (一九二九・七・一四)
 

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頌 歌

 
出で発(た)たん!夏の夜は
霧(きり)と野と星とに向って。
出で発たん、夏の夜は
一人して、身も世も軽く!

この自由、おお!この自由!
心なき世のいさかいと
多忙なる思想を放ち、
身に沁(し)みるみ空の中に

悲しみと喜びをもて、
つつましく、かつはゆたけく、
歌はなん古きしらべを

霧と野と星とに伴(つ)れて、
歌はなん、夏の夜は
一人して、古きおもいを!
 
   (一九二九・七・一三)

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夏の海

 
耀(かがや)く浪(なみ)の美しさ
空は静かに慈(いつく)しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。

心の喘(あえ)ぎしずめとや
浪はやさしく打寄(うちよ)する、
古き悲しみ洗えとや
浪は金色、打寄する。

そは和やかに穏やかに
昔に聴きし声なるか、
あまりに近く響くなる
この物云(い)わぬ風景は、

見守りつつは死にゆきし
父の眼(まなこ)とおもわるる
忘れいたりしその眼
今しは見出(みい)で、なつかしき。

耀く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。
 
    (一九二九・七・一〇)
 

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木 蔭

 
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる。

暗い後悔、いつでも附纏(つきまと)う後悔、
馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった。

かくて今では朝から夜まで
忍従(にんじゅう)することの他に生活を持たない。
怨みもなく喪心(そうしん)したように
空を見上げる、私の眼(まなこ)――

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥めてくれる。

      (一九二九・七・一〇)


 

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夏は青い空に……

 
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
 わが嘆(なげ)きをうたう。
わが知らぬ、とおきとおきとおき深みにて
 青空は、白い雲を呼ぶ。

わが嘆きわが悲しみよ、こうべを昂(あ)げよ。
 ――記憶も、去るにあらずや……
湧(わ)き起る歓喜のためには
 人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや

ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!

空のもと林の中に、たゆけくも
 仰(あお)ざまに眼(まなこ)をつむり、
白き雲、汝(な)が胸の上(へ)を流れもゆけば、
 はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや
 

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